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社会変革のための活動

みなさんに知っていただきたい

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理事長対談シリーズ

吉田松陰の弟子 河村建一

理事長対談シリーズVol.4

河村 建一 氏

衆議院議員河村建夫政策担当秘書

一般社団法人宇部青年会議所監事

 

 

 

■Guest Profile■

1976年、山口県萩市に生まれる。

萩市立明倫小学校、萩市立第一中学校、山口県立萩高等学校、青山学院大学法学部卒。

文部科学大臣秘書官在任中に、東京大学大学院情報学環学際情報学府修士課程修了。

財団法人未来工学研究所フェロー、慶應SFC研究所上席所員、東京大学大学院工学研究科航空宇宙フェローを兼任。

麻生内閣で内閣官房長官政務担当秘書官を務め、現在は衆議院議員河村建夫政策担当秘書、 一般社団法人宇部青年会議所監事。

 

21世紀の

吉田松陰の弟子

志と誠は宇宙とサイバー空間にも通ず

 

第1章:志を立てて以って万事の源と為す

小楠:こんにちは。今日は山口県萩市出身で、元内閣官房長官河村建夫衆議院議員第一秘書であり、政策担当秘書でもある河村建一さんのお話を伺っていきます。よろしくお願いします。

 

河村:よろしくお願いします。

 

小楠:早速ですが、河村さんは萩市出身ということですが、ここは吉田松陰先生や高杉晋作などの数々の英雄を輩出した松下村塾のあった地です。河村さんはこの国に様々な変革をもたらした英雄たちと同じ出身で、国の政治に携わる活動をし、最近はアメリカにも招かれて勉強をされています。

先ず、はじめに出身地が『萩市』ということについて、河村さん自身は特別な意識があるのでしょうか?

 

河村:はい。萩市にいる間はそれが当たり前のように思っていましたが、18歳で東京に出てはじめて自分の出身地が近代史を作る上で全ての源であったと感じました。我々のような萩市出身者は、共通して吉田松陰に『先生』を付けて呼びます。それは今現在においてもこの方が我々の先生だという事なのです。

私は萩市立明倫小学校に通いました。この名前は長州藩の藩校である明倫館からきています。おそらく、この明倫館があったところに、私の通っていた小学校が建てられました。

ここでは毎朝、吉田松陰先生が残された言葉を朗唱しています。

昔でいうところの教育勅語に近いもので、当時は幼心ながら意味もわからずに唱えていましたが、そのおかげで松陰先生の思想が自分の血となり肉となっていく事を強く感じます。

例えば、1学期ごとに松陰先生の言葉が替わり、幼稚園を出たばかりの子どもが毎朝のように『今日よりぞ 幼心を打ち捨てて人と成りにし 道を踏みめかし』といった難解な言葉を朗唱します。これは『今まで親にすがり甘えていたが、小学生となった今日からは自分の事は自分で行い、友達と仲良くしよう。』という意味があります。当然、小学生には何の事かさっぱり分かりません。この言葉は松陰先生が従弟である玉木彦助の元服を祝って送られたものです。

そして、小学1年生の2学期では『世の人はよしあしごともいはばいへ 賤が誠は神ぞ知るらん』という言葉を朗唱します。

ペリーが下田に来校した際、彼が弟子の金子重輔と共に直談判して海外渡航を企てた後、2人は萩藩で牢獄に送られました。松陰先生は位の高い武士の入る野山獄、重輔は身分の低い岩倉獄に入ってしまうのですが、このときに『海外渡航を企て私のとった行動について世間の人は良くないと言うが、私の国を思う真心は神だけが知っているだろう。』とおっしゃったのです。吉田松陰先生が国を思ってとった行動は、当時の社会の決まり事の中では許される事ではありませんでした。

しかし自分の国を思う気持ちの『誠』は神だけが知っているということを彼は主張しました。このような『自分の誠は神だけが知っている。』という言葉を、僕らは小学1年生の2学期から唱えていました。

小楠:すごい熱を感じます。小学1年生の段階で、朗唱する言葉の内容にも『打ち捨てて』などの激しい言葉が出てきます。『世の人はよしあしごともいはばいへ 賤が誠は神ぞ知るらん』という言葉も、いきなり奥義を見せられる感覚がありますね。

河村:そうですね。つまり吉田松陰先生の生き様を通じて『忠』や『公』を学ばせようとする方針があるのです。戦後の教育の中で、物質が豊かになると同時に心が貧しくなってきてはいないか?という現代への問いを真っ向から投げかけているのでしょう。

我々は、こうした吉田松陰先生が見た歴史の躍動の中から教育を学びました。この学校の教育は非常に視野を広く持ち、歴史を通して教育を受ける機会に恵まれた中で、育つことが出来る場所だったと思います。そのおかげで日本の近代を作ってきたのは『萩市』だったという強烈な自負心を持つことができました。

歴史、または未来に対して、私は自分たちが負っている責任というものを義務教育の中で感じ取ることが出来たように思っています。それはとても恵まれた環境があったからこそです。そのため物事の判断や見方というものは、吉田松陰先生の価値観に自然に沿っているように思います。

つまり、松陰先生からは大きな影響を受けて今日に至っています。

それはおそらく私だけでなく、この明倫小学校で育っている誰もが少なからず感じている事でしょう。当時、朗唱してきた松陰先生の言葉は心の中の灯火として今も絶えることなく残っています。

小楠:それに気づいたのも萩市を出てからでしょうか?それまでは日本全国の小学生が皆、自分たちと同じ言葉を朗唱していると思っていたのですか?

 

河村:はい。思っていました。

 

小楠:今のお話で私が感じたのは、例えばパソコンで最も重要な部分はOS(オペレーションシステム)だと思います。

OSはアプリではありません。

OSが『志』の部分になります。

それがインストールされて、松陰先生の言葉がOSとなり、指針となっていく教育があります。

オペレーションシステムは非常に分かりやすい言葉で、今判断をしないといけない情報がきました。

その時に、右に行くのか左に行くのかという行動そのものを、オペレーションしてくれるという意味を持っています。

明倫小学校で習われた方々は、松陰先生の言葉が基準となるように教育されてきています。

今の世の中について私が最も感じているのは、第一にこのOS自体がインストールされていない人が多いことです。

それにも関わらず、アプリばかりを集めている状況があります。

それはノウハウや手法といった言い方をしますが、これらを集めても判断できるOSが備わっていないために使いこなせず、不安になりまたさらに、アプリを集めてしまうという悪循環があります。

新渡戸稲造先生の『武士道』という本の冒頭でもこれが表現されています。

そこでは、ある海外の人から『日本人には宗教がないと聞いたが本当か?無いとしたら一体何を基準として生きているんだ?』という質問を受けます。

おそらく外国ではキリスト教などの『宗教思想』をOSにしているため、宗教がない国があるということそのものが先ずは信じられない。そして、もしそんな国があるのだったら、そこに住む人たちは一体何を指針として生きているのかが疑問だったのだと思います。

この問いに対して新渡戸稲造は考えたところ、新渡戸はある答えを見つけました。

それは日本人のOSが『武士道』にあるということです。

萩市の話に戻しますが、こうした『武士道』を義務教育の早い段階でOSとしてインストールさせることは、非常に素晴らしい事だと思います。

 

河村:はい。1学期ごとに変わるため、小学校の6年間で18もの言葉を覚えることになります。その全てを完璧に覚えているわけではありません。しかし、そのとき自分の言葉で発してメッセージを共鳴する中で、知らず知らずの内に自分のOSになっていったように感じます。

本当に最高の教育を受けさせていただいたと思っています。

 

小楠:昔で言うと教育のはじめは四書五経などを唱えていたと思います。

大河ドラマ『龍馬伝』の中で、三菱の創業者岩崎弥太郎が四書五経を読んでいるシーンが出てきます。

三菱の創業者である彼も昔は非常に貧しかったそうですが、母が教育熱心で四書五経の本だけは決して売らずに読ませていたというエピソードは有名です。彼は司書五行を精読して暗記をしています。

 

河村:彼にとってそれがまさにOSになったということです。それが自分の中心となって、枝葉を積み重ねてゆくのでしょう。

僕の場合は吉田松陰先生の思想に最も影響を受けてきました。

世界の有名な言葉というのはある種、切り取られたものだけが残っていることが多いのですが、吉田松陰先生の言葉には、その背景となる前後の言葉やストーリーが残されています。

例えば『至誠にして動かざる者は、未だ此れ有らざるなり』という言葉があります。これは『誠を尽くせば必ず天に通ずる』という意味ですが、前後の言葉があります。『誠は天の道なり、誠を思うは人の道なり、至誠にして動かざる者は、未だ此れ有らざるなり、誠ならずして未だよく動かずは有らざるなり』という文章です。これは小学5年生のときに朗唱した言葉ですが、毎朝のように発する中で前後の内容も加えて『誠とは天の道である。』ということを強烈に意識するようになりました。

 

小楠:これは短い言葉ですが、非常に強烈なパワーを持っていますね。

 

河村:僕が普段の生活の中で指針にしている松陰先生の言葉は『志を立てて以って万事の源と為す』というものです。志を成すことは目の前の身近な目標ではありません。もっと大きな視野の中で目指すものです。

それが何であるのか、常に自分に問うように心がけています。

これは小学校3年生の2学期に習った言葉です。

『志を立てて以って万事の源と為す 書を読みて以って聖賢の訓をかんがう』

志がなければ何もならない。だからこそ第一に志を立てなさい。

そして道徳や原理原則の教えに関する書物を読んで、昔の成人や賢人の教えを参考にしながら自分の考えをまとめなさいという松陰先生の思いが込められています。

これは松下村塾という、現在では萩市の松陰神社の中にそのまま残っている建物で、伊藤博文や高杉晋作をはじめとする当時の明治維新の中で活躍された方も実践されていた教えです。

こうした思想から明治維新が起こりましたから、松陰先生の言葉は常に人の中で自分自身を起こしてくれる力があると考えています。つまり未だに時代を超えて、私も含め皆の先生であり続けているということです。

 

小楠:確かに『志を立てて以って』という一行がまさに核心を突いています。

万事とは数字で言えば100%です。それを源と為すと言っています。

そのためには本を読み、聖人や賢人の教えを参考としなければなりません。

ある意味、この言葉だけを守っていれば全てに通用するというくらい含蓄のある言葉です。

河村:それがまさに教育だと思います。当時、この言葉を全て理解できたかと言われればその自信はありませんが、この言葉を毎日唱えていたという記憶や意識が、物心がついたころに思い返すきっかけになります。

そのとき『松陰先生はこう言っていたのか。』という様に立ち戻って言葉を受け入れる事ができます。

小楠:松陰先生は職業的には学者ですが、一貫して『実践者』であったと思います。

河村:それは松陰先生が陽明学を基とされていたことにあると思います。

その中の『知行合一』を実践されていたのでしょう。

つまり『知っているという事はそれを行動に移して初めて言えるものだ。』という意味です。そのため、行動に移さないことは知らないことと同じという教えを実践されたのです。

アメリカという国を知らなければならないと思い立てば、彼はすぐに下田で密航を企てたように、常に実践をしている方でした。

 

小楠:通常ならば、自分が行くのではなく弟子を派遣させると思います。それを松陰先生は船をよじ登って『自分を連れて行け』と言ったと伝えられています。

彼の弟子が血判状を書いて『やり過ぎだと思います。やめて下さい。』と言ったときにも『それでは縁を切る。』と返したというエピソードまであります。

彼には一切の迷いがありません。

言っていることとしていることに一寸のずれもありません。それはまさに『志』を原動力にしているからだと思います。知行合一という言葉を100%のシンクロ率で実践されています。こんな偉業が出来るのはこの人だけだと思います。

河村:歴史にたられば、はありませんが、彼が29歳という若さで亡くならなかったら、日本は一体どうなっていたのでしょうか。または黒船に乗ってアメリカを見てきたなら一体どうなっていたのか、とても気になります。このように多くの思いを馳せるのですが、ただ29歳で亡くなってこれだけの結果を残されたことは変えられない事実です。

彼は人を育て、人を遺し、言葉を残しました。

それは長く生きること以上の、大きな財産かもしれません。

現にこうして僕も松陰先生の教えを心の中で唱え続けています。そのような人間が未だに存在すること、それは紛れもない事実なのです。

 

小楠:彼は140年前の人物ですが、河村さんも松陰先生の弟子の1人だという言い方が出来るかもしれません。彼は学者であり、教師であり、自分の背中を見せて教えるような実践者でもありました。

驚くことに松下村塾は8畳の狭さだったと聞きます。元々は、松陰先生が蟄居させられていた2畳の部屋に、教えを受けたい人がたくさん押しかけてきたため、使われていない小屋を譲ってもらったと聞きます。

さらに、これだけ有名で数々の優秀な生徒を輩出した塾にも関わらず1年半しか存続していません。この理由も松陰先生の蟄居が解かれたことによって、そこに居る必要がなくなったからです。

松陰先生は元々実践者なので、専任で学問を教える気はなかったということだと思います。当時の松陰先生から『原則原理は教えたのだから、実践をして、あとは自分自身で学べ。』という声が聞こえてきそうなエピソードです。

多くの人にいろいろと教えても、その中から高杉晋作のような人物はなかなか出てきません。しかし、特別にしっかりと教えたわけでもないような環境から多くの英雄が輩出されています。

お話の最初で言われたように、今でも彼の行動や足跡を見ることで、皆が学びを得ています。これは非常に興味深いことだと思います。

河村:僕は18歳まで萩市で育ちましたが、萩市内の至るところに松陰先生が今でも生きています。それは言葉だけでなく、この場所でこんな行動をしたというような記録まで様々です。こうして松陰先生の29年間の人生は時を超えて、私たちに学びを与えてくれます。それは彼の短い生涯の中には、多くの得るものがあったという証拠であり、非常に不思議なことです。

小楠:彼の残した言葉の強烈さは、言葉の中に嘘が微塵もないということから来ていると思います。

河村:つまり彼は『私』がない人間なのです。玉木文之進という彼の教師がいたのですが、この方は松陰少年が勉強中にハエを追い払ったら物凄く怒ったという話があります。

小楠:玉木文之進は、かなりのスパルタ教育で松陰先生が後に『よく死なずに済んだ』と自ら語っているほどの人物ですね。

河村:このエピソードには『自分の体であっても自分のものではない、つまり全ては公の為だ。』というメッセージがあります。

僕が小学6年の1学期に唱えた言葉には『体は私なり 心は公なり 私を役して公に従うものを大人となし 公を役して私に従うものを小人となす』というものがあります。つまり自分の肉体は自分のものであるかもしれないけれど、大人であることの全ては『私』を捨てることだと言っているのです。それを言い切って実践されているのです。

彼は、ある意味では狂っていたという言い方もできると思います。自分の命や損得といったものを度外視した生き方をしてきた人物です。

私を捨てて公に尽くしたからこそ、未だに歴史を越えて教師として存在しているのです。

 

小楠:つまり『公』が彼のOSだということですね。

それは、なかなかできる事ではありません。我々はいつの間にか『私』に向かっていってしまうものです。

松陰先生の言葉の中に『爽快』という言葉が出てきます。修行や苦行という言い方をすると辛いことのように見えてきますが、彼自身は嘘偽りなく生きているために爽快だったと思います。

ある意味、ここまで楽に、爽快に、生きた人物はいないかもしれません。

ガンジーは『幸せ』をこのように説きました『幸せとは、考えている事、言っている事、行動している事、これが一致している事だ。』

松陰先生は完全に一致しています。

 

河村:そうですね。人間は嘘をつくものであるという所の対極にある存在ですね。

小楠:人間は無意識で自分に嘘をつくほどに、嘘をつき過ぎていると思います。例えば、今日は体が疲れているから出来ない、学歴がないから起業できない、といった具合です。しかし、松下幸之助は小学校3年生で中退しています。起業をするのに学歴は関係ありません。

通常の人は嘘をつきすぎて、自分が嘘をついている自覚すら無くなっています。

松陰先生の言葉を読むとそれに気付かされることが多いです。

まさに『直言』というべきでしょう。

 

河村:今では松陰先生の超訳本なども出ています。否定するわけではありませんが、僕はこのような本は読みません。

なぜなら私自身は松陰先生が書いたり、言ったりした文章そのものを読みたいという気持ちがあるからです。

僕はその言葉の真髄は原文からしか得られないと思っています。

超訳本は著者の視点で言葉の解釈をしています。吉田松陰先生の言葉も様々な人がそれぞれの解釈をして自分の言葉にしています。

そのため、正しく彼の言葉を自分のものにするには原文を読んでいくべきだと思います。

小楠:確かに。聖書の冒頭には『はじめに言葉ありき』と書かれています。考えることも大切ですが、さらにその上に言葉があるという意味です。

僕たちは言葉で考えています。

つまり、考えを変えたければ言葉を変えなければならないと思います。

要するに先ほど河村さんが言われた通りで、原文を読んで解釈しないと考え自体が曲がってしまう可能性が出てきます。

言葉よりも思いの方が大切だという方が多いですが、実は違います。なぜなら僕たちは言葉で考えているからです。知っている言葉が少なければ、考えられることも少なくなります。例えば、甘い、辛いという言葉しか知らなければ、酸っぱいということを考えられないはずです。

言葉ありきにおいて、原書の言葉を喋り、耳で聞いて、それを繰り返す河村さんの受けられた教育は本当に凄いものだと思います。

河村:さらに小学生という状況の中で全く白いキャンパスのような頭に吉田松陰先生の言葉が流れ込みます。これは本当に強烈な出来事です。

また、明倫小学校では道徳の本もあります。松陰読本という萩市教育委員会が作ったもので、彼の生き方を通じて道徳を学ぶ本です。

小楠:これは凄いですね。

道徳で郷土の偉人の生き方を学ぶとは、素晴らしいです。

河村:その通りです。アメリカはヒーローを作りたがります。しかし日本は作りません。ある意味では、吉田松陰は我々の数少ないヒーローだったのでしょう。

嘘や偽りが無い彼の生き様は、道徳という時間に学ぶに値したのです。例えば、勉強中にハエを払って怒られたエピソードから『公に準ずるものは私を持ってはならない』という教えを道徳として学びます。

小楠:その教科書の内容は自伝のようなものですか?

河村:はい。生まれてから亡くなるまでをまとめた教科書です。萩市教育委員会がしっかりとまとめています。これを小学校の全学年で教わりながら、朝には言葉を朗唱しています。

この対談はこの後、

 第2章:英雄輩出 

 第3章:飛耳長目と誠

 第4章:宇宙へ

 と続きます。

 続きは、Amazonにて好評発売中の電子書籍にてご覧下さい。

 

 
吉田松陰の弟子 河村建一
第1章
河村建一 吉田松陰
21世紀の吉田松陰の弟子 河村建一
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